尺には尺を

高柴です


シェイクスピアの「尺には尺を」を松岡和子さんの訳で読みました。

シェイクスピアの舞台に最近ハマってます。これも次に行く舞台の予習を兼ねて読みました。ラム姉弟シェイクスピアで十分ストーリーはつかめると思っていましたが、やはりセリフのおかしさを楽しみたいなら戯曲の訳で読む方がオススメです。
さて、あらすじをざっくり。
民から愛される立派な公爵は、ある目的を果たすために有能な若い貴族アンジェロに自分のすべての権限を預けて旅に出る。
と、思わせておいて実は公爵は修道士に変装してこっそり町に残っているのだが、そのことはナイショだ。
公爵は、自分が慈悲深いせいで風紀が緩んでいるような気がしている。ひとことでいうと、どうも最近たるんどる!といったところだ。それなら法でもっと厳格に取り締まればよいのだが、急に厳しくすると民から不満が出るかもと心配だ。優しい公爵様の立場はキープしつつ、民たちをピシッとさせたい。そんな公爵の勝手な願いに付き合わされることになった真面目で清廉潔白な人物アンジェロは、公爵の願い通りもはや誰も守っていない法をよみがえらせて民たちを厳格な法のもとでビシビシ教育しようと奮闘している。
運悪く、すでに廃れたと思われていた法に引っかかった紳士がいた。名はクローディオといい、誰に聞いても立派な人物だと口をそろえる男である。彼には結婚を約束した恋人がいるが、なかなか持参金の話がまとまらずにいるうちに恋人を妊娠させてしまった。婚前交渉は立派な罪。クローディオを見せしめにしようと、アンジェロは彼に死刑を言い渡す。
ちょっと待って!それってあんまりだよ!みんなやってるじゃん!
そう心を痛めた友人のルーチオは、クローディオに頼まれてクローディオの妹イザベラに会いに行く。イザベラは修道女になるために女子修道院にいたが、ルーチオに呼ばれて修道女見習いは一時中断。ルーチオに言い含められ、兄の助命のためにアンジェロに嘆願に行く。
アンジェロは当然冷たくイザベラの頼みを拒んだが、イザベラの話を聞いているうちにだんだん彼女に興味を持つようになる。そして顔を合わせるうちに彼女を望む自分に気づき、とうとうイザベラにその純潔を自分に差し出すなら兄の命を助けてやると言い出す。
自分が死刑を言い渡した男と同じ罪を犯すという皮肉。さらにイザベラは見習いとはいえ、神にその身を捧げる修道女志望だ。
イザベラは烈火のごとく怒り、アンジェロを罵倒。クローディオは妹の純潔を穢してまで自分の命を守ろうとするような男ではないと啖呵をきり、兄のもとへその報告に行く。イザベラの話を聞いて憤るクローディオだが、やっぱり死ぬのはイヤなのでなんとかアンジェロの言う通りにできないかと血迷ったことを妹に頼む。
イザベラ激怒。
情けないと兄に言い放ち、死ぬ心の準備をしろと言い捨てて牢から出ていく。
修道士に変装した公爵はクローディオに心の準備をさせつつ、アンジェロへのお仕置き計画を立てる。
アンジェロには、かつて正式に婚約した女性がいた。女性の兄の急死で持参金が準備できなくなったという理由であっさりその女性を捨てたが、その女性は今でもアンジェロのことを想っていた。そこで公爵は、その元婚約者にイザベルの身代わりをさせて昔の結婚の約束を履行させ、さらにイザベルの純潔とクローディオの命を守る芝居をうつことにする。
こうしてクローディオと同じ罪を犯すことになったアンジェロだが、それでもなおクローディオの死刑を取りやめることはせず、公爵と監獄長は牢で病死した男をクローディオに仕立ててなんとか乗り切る。
クローディオが処刑されたことになっている町へ、変装をといた公爵が戻ってくる。そして計画通りイザベルが公爵にアンジェロの罪を告発し、イザベラの身代わりをつとめた元婚約者も現れてその場は大混乱。
清廉潔白なアンジェロ卿にとんでもない濡れ衣を着せるとはなんという恥知らずな女!証拠はあるのか?証拠は?
証拠なら、あの金さんが…じゃない、あの神父様がすべて知っています。
というわけで、公爵がすべてを明らかにして一件落着。ついでに公爵はあつかましくもイザベラに妻になるように迫って奇妙なカップルが4組できて完。



訳者の松岡さんがあとがきで述べておられる通り、本当にいびつなカップルたち。幸せそうなのはクローディオと恋人くらいか。一生言われると思うけどね、あそこの夫婦は結婚前にお腹が大きくなって処刑されそうになったねって。イヤだなー。
というか、立派な公爵がどう立派なのかまったくわからない。自称すぎる。ルーチオの公爵像ってけっこう合ってるのかもしれない。だから公爵はムカッとしたのかもしれない。演出によっては最後にイザベラが拒否するのもアリっていう松岡さんの言葉に、それはいいかもって思ってしまった。多部イザベルは拒否するのが似合いそうだと思うんですが、どうなるのでしょう?舞台を見に行かれる方は、ラストのイザベルの表情に注目されるのも面白いかもしれませんね。イザベルはもともと修道女志望で、さらにシェイクスピアはイザベルに公爵の求婚に対してイエスもノーも言わせていません。イザベラの心は演出家の解釈次第っていうのも面白いです。
勝手で情けない男たちに振り回され、イザベラがどんどんガラが悪くなってキレていくのが面白い。特にクローディオに、兄の命が助かるならアンジェロにその身体をちょっと任せてくれりゃいいじゃんって言われて激怒するところは爆笑ものです。それはないだろクローディオ。もともとの罪よりも、妹にそんなことを言った罪で死刑になればいいのにって多くの女性が思ったことでしょう。
相変わらず、細かいことは気にすんな!っていう調子のシェイクスピア喜劇。つじつまが合わないところもとんでもない男たちも勢いで許せてしまうのはさすが。下ネタ多いですが、下品になりすぎないのは古典の特権かな。
シェイクスピアって難しいんじゃない?ってたまに言われるんですが、基本的に当時の普通のオッサンたちが楽しんでいたものなので、たぶんイメージとだいぶ違うと思います。チケットが取りにくくなると困るのであまり積極的に観劇をオススメしませんが、興味のある方は一度テレビで見てもいいかもしれませんね。たまにBSとかで放送してます。
訳者の松岡さんの努力に本当に感謝。丁寧な脚注がページの下にあるのですぐ確認できて便利です。現代の日本人にできるだけ当時の面白さを伝えつつ、意味が通るように訳す作業には想像を絶する苦労があると思いますが、丁寧で面白く最高です。大好きです。応援しています。