楡家の人びと

高柴です


北杜夫氏の「楡家の人びと」を読みました。

楡家の人びと 第一部 (新潮文庫)

楡家の人びと 第一部 (新潮文庫)

面白かったです。気が短いので登場人物にずっとイライラさせられるんですけど、でもなんでだろう、一度も読むのをやめようとは思えなかったです。
普通、小説の登場人物というのは人格者だったりなんらかの特別な能力・才能を持っていたり周りや読者から愛されていたりするイメージですが、この「楡一族」にはそういうのは何もありません(笑)
みっともなく滑稽な姿を堂々と読者にさらして平然としているこの一族に読んでいるこっちは戸惑いつつもなぜか引き込まれていきます。


なぜ、どこが面白いのかという点については辻邦生氏が書かれている解説が素晴らしかったので、そちらを読まれることをオススメします。私は解説を読むのが苦手で(なんか小難しいこと書く人が多いですし)いつも最初だけチラっと読んでそのまま終わるんですが、辻氏の解説は最初から最後まで何度も頷きながら読みました。そうです!まったくその通りだと思います!!みたいな。


一応感想ブログで解説を読んでくださいというオチはどうかと思うのであらすじというか雰囲気を。


時代は明治。田舎から出てきた医師の楡基一郎は東京で精神病院を開院。持ち前の才覚でどんどん病院を大きくしていく。
ややハリボテ気味の基一郎の鷹揚さになぜか惹かれる人間は多く、また基一郎自身も積極的に優秀な人材を求めたこともあり、楡医院は常に多くの若い医者や書生、入院患者たちで賑やかだった。
基一郎には2男5女の子供がいたが、基本的に彼も妻のひさも自分の子供たちに興味はない。
長女の龍子は父を盲信しており、父の選んだ秀才の医師徹吉を婿に迎えていた。プライドが高く、冷たく自分勝手な性格のため、夫とはあまりうまくいっていないが3人の子供を産む。
次女の聖子は一番の器量よしで優しい娘だったが、親の望む縁組を蹴って愛する人を選んだために落ちぶれて不幸になる。
長男の欧州は無気力無関心グータラの三拍子揃った落ちこぼれ一歩手前だったが落第を繰り返しつつもなんとか医者になる。
三女の桃子は感情的でわがままな娘で、自分の不幸を嘆きつつも誰よりも自由に生きる。
次男の米国は子供の頃病弱だったこともあってか自分の健康に人一倍過敏になっているただの怠け者である。


(悪口ばっかり書いているように見えますが、本当にこんなかんじなんです。誰も好きになれないんですよ。でも、呆れながらも彼らの人生と運命に付き合わずにはいられないのです)


時代は大正、昭和へと移り変わり、不変かつ不動に思えた楡家にも様々な変化と悲劇が襲い掛かる。
楡一族は基一郎の孫の代までみんなおそろしく自分勝手な性格ではあったが、それぞれ自分なりに楡医院を愛し拠り所にしていた。
主に徹吉の努力でなんとか一度は楡医院の復活を成し遂げるが時代の波は非情にも楡医院に幾度も犠牲を強いるのだった。


やはりというべきか、第二次世界大戦がかなり大きな扱いになっています。登場人物が何人も戦場へ行きますし。最近ちょうど北氏のエッセイを読んだところというのもあって龍子の末息子周二が作者と同世代であり、徹吉と作者の父親が微妙に重なることに気付きました。 楡家の人びとは、作者の一族がモデルというのはよく知られていますが特に終盤の徹吉はエッセイにあった斎藤茂吉とハッとするほど重なる描写がちらほら見られたように思います。



ひとつの「家」の栄光と没落を描いた作品。ひとことで言えばそうなのですが、その過程をち密に描くことによって圧倒的な迫力を読者に感じさせてくれます。普通の家を追っているだけなのに、苦しいほど時代の流れを感じるのも不思議でした。
もう少し年齢を重ねてからもう一度読みたいなと思う作品です。




高柴