虎の城

高柴です


最近、時代小説の話題を出していませんでしたね。今日は大好きな歴史小説をご紹介します。

虎の城〈上〉乱世疾風編 (祥伝社文庫)

虎の城〈上〉乱世疾風編 (祥伝社文庫)

火坂雅志さんの「虎の城」です。藤堂高虎が主人公の作品。火坂さんのファンで、そこそこ読んでいますが歴史長編小説では「虎の城」が一番好きです。
あらすじは
世の中がめまぐるしく動いていた戦国時代の真っただ中、藤堂高虎は槍働きが売りの青年だった。彼は自身の実力に疑いを持っていなかったが、なかなか正当な待遇を受けられない。あせる高虎の前に彼を高く評価し、ぜひ臣下に迎えたいと名乗り出た武将がいた。その武将の名は羽柴小一郎秀長。羽柴筑前守秀吉の弟であったが、当時の秀長はまだまだ石高も低く、ぱっとした人物とはいえなかった。なにより槍一本で勝負という主義の高虎は秀吉の補佐として細かい事務処理をこなしているイメージの秀長にあまり興味を持っていなかった。どうせ安く買いたたかれるのではないかと思いながら秀長のもとに出向くと、秀長から信じられないほどの高待遇を提示される。初めて自分を正当に評価してもらえたことに高虎は深く感謝し、秀長の家臣となることを決める。秀吉の影に隠れがちだが、秀長は人物・能力共に大変優れた武将であり、高虎は秀長を生涯の主と定めて懸命に働く。
秀長の側で仕えるうち、高虎はいつまでも槍一本ではいけないと考えを改めるようになり、秀長からさまざまなことを教わり、自分の力にしてゆく。特に城の縄張り、築城術はかなりの腕になり、高虎の名は少しずつ知られるようになる。
秀長を心から慕い、仕えているうちに秀吉が天下をとり、自分も大名に出世する。しかしめざましい出世も秀長が逝去したことで雲行きが怪しくなる。なんとか主君秀長の家を守りたい高虎は懸命に動くがそれもむなしく主家はとりつぶされてしまったのだ。秀吉の家臣として頭角を現してきた石田三成とそりがあわないこともあり、高虎は豊臣家と距離をおくようになる。
豊臣家から離れた高虎は当然のなりゆきで次は家康に仕えるようになる。古くからの家臣ではないにも関わらず、家康から重用される高虎。彼がこれまで生き残るために身に付けた様々な能力が高く評価されたのだ。
主君を何度も変え、激動の時代をうまく泳ぎ切った藤堂高虎。そのため彼にはマイナスのイメージが付きまとうが彼は決して主君への恩を軽んじるような男ではなかった。その証拠に高虎は徳川の世になった後も秀長への礼をつくしており、むしろ情に厚いとさえいえるであろう。


というかんじのストーリーでしたかね。だいぶ前に読んだのでうろ覚えのところがあるかもしれません。すみません。
この話を通して火坂さんが一番主張しておられたのは、高虎は自分の成功パターンをどんどん捨て、新しい成功パターンを作り出すことができる男だった、という点です。人間は、一度自分の成功パターン、成功の方程式を確立してしまうと、それにしがみついてしまうものです。高虎の場合は、槍働きでかなりの活躍をしていました。うまくいっていたわけです。普通なら、一生ずっと戦場で馬鹿みたいに槍を振って終わるわけですが、高虎はこのままでは世の中の動きについていけないと悟って、自分の武器をどんどん増やしていきました。これは並みの人間ができることではありません。高虎はあの時代を生き残るべくして生き残った賢い武将だったといえるでしょう。
火坂さんらしく、嘘かホントかわからないエピソードがたくさん入っていて、物語としても大変面白いです。
歴史小説や時代小説では作者のねつ造というか勝手に作っちゃった♪みたいなエピソードはお約束ですが、許せる作家さんと許せない作家さんがいるのはなぜなんだろう?火坂さんは許せちゃうんですよ。絶対コレ嘘だよね?と思っても、面白いから気にならないんです。きっと、火坂さんがいつも主人公に全力で愛情を注いでいらっしゃるからだと思います。それがものすごく伝わってくるんです。
ね!コイツ、すっごく良い奴でしょ?
ってわくわくしながら無邪気に自慢されているような、そんな愛らしさを文章から感じます。あくまで私の勝手なイメージですが。
それに当然、とても勉強されています。だからどんな荒唐無稽なエピソードでも、不思議と安定感があってすんなり読めてしまう。そんなこともあったかもしれないな、と思わされてしまいます。でも史実至上主義な方は我慢できないでしょうね。私は、結局何があったかなんて誰にもわからないのだし、大きく外れてさえいなければ、あとは面白ければいいんじゃない主義です。今考えました(笑)
いろんな作家さんの時代小説を読みましたが、現在活躍されている作家さんの中では火坂さんと佐藤雅美さんが好きです。お二人の作品にはお二人にしか書けないオーラがあるような気がします。これからも楽しく読んでいきたいです。




高柴