魔道士の掟

高柴です



先日本屋さんに行ってブラブラしていたら「魔道士の掟」シリーズが目に入り、いつの間にか完結していたこととアメリカでドラマ化までされていたことを知りました。
・・・マジで?
というわけで、今日の話題はテリー・グッドカインドの「魔道士の掟」です。
ベッタベタのファンタジーです。発行されたときに読んだからもう10年前ですか…。懐かしい。
まーどっかで聞いた設定の詰め合わせ♪みたいなファンタジーなんですが、当時は私もまだ純粋だったし楽しく読んでいました。
主人公のリチャードはいかにもアメリカ人が好きそうな強くて優しい青年。彼の世界と魔法の国は繋がっており、彼はその「境」近くで一人の女性カーランと出会う。
まーいろいろありまして、彼女とリチャードを小さい時から可愛がってくれていた近所の謎のおじいさん(当然正義の大魔道士)と魔法の国へ行き、悪の魔王をやっつけるというお話です。
はっはっは。何か恨みでもあるのかってくらい適当な説明ですね。ハイ、わざとです。
ずっとね、面白く読んでいたんです。リチャードは可愛いしカーランもカッコイイし、みんな完璧すぎだけどそれなりにベタな作品の安心感みたいなのもあって楽しかったんです。
そんな気分を一気に台無しにしてくれたのが最終巻(魔道士の掟は全5巻)の訳者あとがき
魔道士の掟はシリーズの第1部という位置づけで、訳者は第2部の紹介をしていたのですが、その紹介文でこんなのがありました。


“少々サドっ気が感じられる作者のいじめの矛先も、今回(第2部)はおもにカーランに向けられます。とはいえ、もちろんリチャードも見逃してはもらえませんが。云々”


私はコレがダメでした。別にたいしたことじゃないと思われるでしょうが、なんか
え?リチャードがあんなに苦しんでたのって作者のシュミ?
って思うともうなんかアホらしくなったというか…。
私にとって本の登場人物って大切な人たちなんです。本って自由じゃないですか。登場人物の声も顔も自分でイメージして自分で作り上げていく。だから、みんなそれぞれに可愛くて大切なコたちなんです。それを、いくら生みの親とはいえ作者が自分のシュミで痛めつけるとか本当にどうしてくれよう…ってなります。まぁハリポタもちょっとそんな感じでしたけどね。ハリーへの精神攻撃とか。でもあれはどうしても次が気になってしまうストーリーの魅力がありましたし、何よりそれを乗り越えて大きくなっていくハリーがきちんと書かれていたので納得できました。
しかしこの魔道士の掟にはそういう納得できる要素がなく…。当然第2部は読んでいません。だってカーランいじめるとか…いい加減にしろよ。
当然、これは訳者の勝手な思い込みかもしれません。しかし彼女を通してしか作品を読むことができないことは確かで、彼女がそのつもりでいる限り私は読みたくないと思いました。
そんなわけで、今日は珍しく全然オススメできない本のお話でした〜。
結局、私は登場人物たちを大切にしない作者が嫌いなんですというのが今日言いたかったことです。うん。あんまり嫌いなもの書くのって楽しくないですね。明日は楽しい話をしたいです。



高柴