昔も今も

高柴です



ちくま文庫サマセット・モームの「昔も今も」の新訳本を出してくれました!ちくま文庫は読みやすい訳の名作を出してくれるんですよね。感謝。あともう少し安くしてくれたら言うことないんですけど…。

昔も今も (ちくま文庫)

昔も今も (ちくま文庫)

さて、この「昔も今も」という作品は16世紀初頭のイタリアが舞台。
当時イタリアでもっとも恐れられていた法王軍総司令官チェーザレ・ボルジアの許へフィレンツェ共和国から使節として派遣された書記官ニッコロ・マキアヴェリが、チェーザレ・ボルジアからほとんど強制的に提示される同盟や誓約をのらりくらりとかわしながらチェーザレ・ボルジアと彼に歯向かう領主たちの動きを注意深く観察し、故郷フィレンツェの自由と独立維持のために奔走するという話。
冷酷で恐ろしく頭が切れるチェーザレ・ボルジアマキアヴェリの一見穏やかながら実はかなり緊迫したやりとりと、女好きのマキアヴェリが一目惚れした人妻を口説いていく過程が交互に挟まれていて全然堅苦しくならず、面白かったです。この前の「月と六ペンス」ほどの引き込まれる感じはなかったですが「昔も今も」というタイトル通り、政治というのは変わらないなと苦笑い。特にチェーザレ・ボルジアの言葉はまさに現在の政治の弱いところをズバッと突いており、彼とモームの慧眼には驚かされます。まぁでもそうですよね。少しでも歴史を勉強していれば人間というのは同じことをずっと繰り返しているんだということがわかります。
500年前の人間より現代の人間のほうが賢いと誰が言えるというのでしょう?


マキアヴェリの外交術がメインかと思っていましたが、下っぱ役人の彼が上から命じられるのは時間をかせぐことだけなので、相当彼の能力の無駄遣いでした。むしろマキアヴェリは人妻を落とすほうに緻密な計画を立てたりして頭を使っていましたね。逆にチェーザレ・ボルジアの決して手の内を見せぬ不気味さは彼の底知れぬ強大さを感じさせました。マキアヴェリチェーザレ・ボルジアのやりとりはどこまでが本気でどこまでが冗談なのかわからなくてドキドキ。
結局、マキアヴェリチェーザレ・ボルジアに軽く転がされて終わりましたが、それはマキアヴェリが自分の手になんの外交カードも上から持たされていなかったからであり、むしろ手ぶらでチェーザレ・ボルジアを相手に「現状維持」を確保した彼の外交術は称賛されるべきでしょう。
読んでいて困惑したのはチェーザレ・ボルジアの「イタリア統一論」の正当性。
完全にその通りなんですよね。統一できないから他国の干渉を受け続ける弱国から脱却できない。でもその理論を完璧に理解しながらも自分の故郷フィレンツェに忠誠を誓い、現在のフィレンツェの財産と自由を守ることこそ自分の使命だと決意しているマキアヴェリは揺らがない。マキアヴェリはこの作品では愉快で少し滑稽な役回りなんですが、あの揺らぎのなさは大変かっこよかったです。
最終的に気まぐれな運命の女神の寵愛を突然失ったために野望を遂げることができなかったチェーザレ・ボルジア。彼の悲願が成就するのは300年後、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の登場を待たねばなりません。
なんとなく、チェーザレ・ボルジア織田信長がかぶります。自分の領土ではなく、イタリア国日本国という「国」をどう導くかというプランを持てた人物。織田信長のほうが幸せかな。自分のプランのDNAを残すことができたわけですから。彼のほうが後世の人々からの尊敬も厚いですし。


「昔も今も」変わらぬ足の引っ張りあいや自分の欲望に逆らえない哀しさ滑稽さ、そして同時に「昔も今も」変わらぬものであってほしい故郷への愛情と誠実さがユーモアたっぷりに表現されており、時代を軽がると越えて現在の私たちの心に届きます。


普段、あとがきを読むことは少ないのですが、訳者の天野氏の解説はわかりやすく面白かったです。年に1作モームの長編を翻訳なさっているとのことなので、ぜひちくま文庫さんに頑張ってこれからも出版していただきたいです。



高柴